行雲流水

趣味の関連など。かきたいことをかきたいときに

夏の夜の夢より覚めて友と歌う

 和海と申します。

 本記事は2022年2月17日~2022年2月22日に開催されました(されている)Lost Eden~星の森編~について同年2月20~22日時点で筆者が考えたこと等をまとめたものです。あくまで個人の考えに根差すものであること、またMobageアイドルマスターSideM中のストーリーのネタバレを多分に含むものであることをご留意ください。また記事中で複数画像を並べている箇所があるためPC版での閲覧を推奨します。

(以下、常体での記載とします)

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1. イベント予告

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2022年2月14日に公開されたイベント予告文

 「ミュージカルの仕事」「仕事に向けて他ユニットアイドルの自宅で集まる」「Altessimoの演じる役がエルフ/妖精」「(詳細な理由は異なるものの)外界のものとの交流に対する恐れにより排他的になるエルフ/妖精」といったいくつかの点により、イベント予告の文章が公開された時点ですでにGuardians of Sanctuary~古き森の盟約~(2018/01/17~2018/01/24開催)との関連が予想されていた。私自身、実際にイベントが始まりイベントストーリー(以下イベスト)やカード等を見て、当該イベントのみに留まらず他の複数のストーリーで描かれた出来事らとのつながりを多く感じた。本記事では関連があると思われるイベントについても触れるため、興味をお持ちになった方には是非そちらもご参照いただければ幸いである。

 

2. 作品設定について

 SideMの多くの劇中劇において、各アイドルが演じる役の名はアイドル本人の名前や特徴を模したものが多い(神楽麗:グラーレ等)。本イベントにおいてもおよそその傾向がみられるが、都築圭だけは例外であった。都築が演じる妖精の役名はオーベインであり、これは恐らくウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』に登場する妖精オベロンの名をもじったものであると考えられる。神楽麗さん(以下麗さん)からストーリー02において夏の夜の夢についての言及があることからもほぼ間違いないだろう。

 『夏の夜の夢』はアテネ近郊の森を訪れた人間やその森に住む妖精たちが登場する恋と愛の喜劇である。詳細なストーリーはここでは割愛するが、物語においてオベロンは妃のティターニアと仲違いをし「いたずら」をするも巻き込まれた人間たちの姿を見て解決を試み、一人の妖精の活躍やてんやわんやを経て最後にはティターニアの迷いも解いて仲良く人間たちを祝福する。今イベントとの関連については後述。

Paradise Lost and Regained Index

夏の夜の夢 - Wikipedia

 

3. 上演に向けて

3-1.並び立つ人

 パート01,02ではミュージカルの楽曲を担当する作曲家について、また原作となる漫画について言及があり、パート03,04では両ユニットの稽古の様子が描かれる。

 03のなかでも、熱心に稽古に取り組む渡辺みのりさん(以下みのりさん)と麗さんを見て自身も作曲家さんに質問にいく都築圭は、Bullets of Heresyや7th Anniversary Live等で繰り返し描かれてきたような、並び立つ人にふさわしい自分であるために努力する人間である。

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Lost Eden~星の森編~ ストーリー03より

 ただしこれまでは麗さんに対し言葉にして「頑張りたい」と伝えていたのに対して、今回は「(麗さん“も”自分の音を高めようと頑張っているんだね)」というモノローグからそのまま行動に移っている。これは、都築自身が自分の頑張りを認められるようになり、麗さんが都築のことをいつも見てくれていることを知り、ともに過ごしてきた重ねてきた時間があるからこそ、あえて言葉にせずとも次にステップに進むことができているということなのではないかと思う。ふわふわパジャマパーティーの頃の「言葉じゃなくて、音楽で通じ合えれば、それでいいさ」といった独りよがりな様子からは程遠いものだろう。

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左: Bullets of Heresy ストーリー05、中央: 猫街闘争~猫たちの領域~ ストーリー10、右: 7th Anniversarry Live~想いを奏でて~ ストーリー08より
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左: 7th Anniversarry Live~想いを奏でて~ ストーリー24、中央: そよ風のカンツォーネ ストーリー07、右: 7th Anniversarry Live~想いを奏でて~ ストーリー22より

 

3-2. 『夏の夜の夢』と 「誰かに曲を作ること」

 04では、ミュージカル楽曲担当の作曲家氏が都築に相談をする場面がある。この作曲家氏はみのりさんいわく「アイドルソング界の若きエース」であり今イベントにおいてはレジェンド的存在の都築と対比される(都築の過去の作曲活動については[とどけ!虹の音楽祭], [最恐怪奇譚~戦慄のメロディ~]を参照)。

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Lost Eden~月の森編~ ストーリー04より

 作曲家氏の相談に対する都築圭の「君も悪戯なエルフェに惑わされているようだ。かつての僕のように」という言葉から、都築自身が過去に楽曲提供をしていた際に同様の悩みを抱いており、さらに目の前の作曲家氏をと過去の自分を重ねていることが読み取れる。

 なればこそ、自らの作る曲(もしくは奏でる音楽)が相手の魅力を引き出せていない・相手に見合うものでない のではないかという疑念もまた、過去の都築が抱いたものであったのではないか。この「相手」にはかつて都築が楽曲を提供していた通称歌姫とよばれる存在、または同じユニットの麗さん、もしくはその両方が考えられるだろう。

 「相手」が歌姫らを指していた場合、都築が自身の音楽が至らないことにより彼女ら大切な人たちとの別れを招いたと(少なくとも過去に)考えていたとすれば、所謂初期の自己評価や自己肯定感の低さにもつながるのではないかと思う。

 一方で、麗さんを指していた場合には(とどけ!虹の音楽祭以降に描かれてきた)麗さんに向けて作る楽曲の作曲過程に感じたものとつながるだろう。かつての都築がどこか麗さんの顔色をうかがいながら曲をつくろうとしてしまっていた、と考えれば、これまでに麗さんとの対話を通して試行錯誤を繰り返してきた道のりについて考えさせられる。この曲は最終的に、麗さんだけではなく都築自身を含めたAltessimoとして、さらにそのファンの方々も含めた皆で作る進化し続ける楽曲として展望を得るようになる。

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左: とどけ!虹の音楽祭 ストーリー05、中央: 4th Anniversary Live~心強い仲間~ ストーリー05、右: 7th Anniversary Live~想いを奏でて~ ストーリー17より

 またひとつの可能性として、続く「楽曲は君のものだから、僕は口を出すつもりはないよ。」「僕の顔色をうかがう必要はない。どうか君の好きなようにやってほしい。」という言葉が、都築圭自身がかけてほしいと思っていた言葉、もしくは都築圭が過去に実際にかけられたがそのときには(突き放されたような感じがするばかりで)真意を汲めないでいた言葉と考えることはできないだろうか。過去に都築自身が相手の顔色をうかがいながら作曲活動をしてしまっていたという体験に根ざす言葉であるという可能性もある。

 この仮説が空想の域を出ないといえばそれまでだが、都築が「誰かが誰かに向けて音楽を奏でる」際の想いを大切にする人物であることは、麗さんのお姉さんが麗さんのために演奏する時間を尊ぶ描写としてすでに示されている。

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左: 日常での一コマ「わたしだけの音」(2021/8/6)、右: 不可侵のWHITE-HAT HACEKR ストーリー05より

 作曲家氏への言葉はさらに続く。

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Lost Eden~月の森編~ ストーリー04より

 「…でもだからこそ、僕は君が自分の手で描いた音を奏でたい。それがどんな曲でも」。ここで意図される「自分の手で描くこと」とはどんなことだろうか。元作曲家の都築が曲を奏でるアイドルとして目の前の作曲家氏に語る言葉であるのだから、作曲も演奏も「描く」ことに含まれるだろう。しかし、むしろ重要なのは「描く」という表現の方法ではなく「自分の手で」の部分であり、本当の自分の心のままに自らの意志で自らの望むことをなすことであるのではないか。

 『夏の夜の夢』では、ティターニアや人間たちはオベロンや妖精の一人であるパックが用いた媚薬によって、目を覚まして最初に見た者に恋をする。言い換えれば本来の心で愛した者とは異なるものに盲目的になってしまう。結果人間たちの仲はこじれ、ティターニアもまた気の毒なことになってしまい、それを見たオベロンが彼らの惑いを解いて物語は終わる。愛もしくは心を音楽に置き換えて考えてみると、

 都築が目の前の作曲家氏に、そして過去の自分に望むのは「その人自身の心のままに音楽を紡ぐこと」ではないか。

 

 都築が「相手の音を掴む」という意識を持つに至る過程には、彼自身の相互理解や誰かに曲を作ることに対する意識の変化を伴ってきた。

 初めに相手を「掴む」(すなわち相手のこと理解する)という言葉が出てきたのは2015年のドレミファ★メロディである。このときは都築のことが掴めない、という麗さんに対して都築はそもそもその必要があるのか、と返している。これは「あなたという人のことがわからない」という投げかけに対して「わからなくても良いし結局はあなたの感じ方次第ではないか」と返したとも解釈できる。確かにそういった考えもあるだろうが、理解を最初から放棄しているともいえる態度である。しかし、次のふわふわパジャマパーティーで彼は、自分の好まないものも親しみのあるもの(音楽)に置き換えれば苦手意識を軽減することができることを学ぶ。

 そしてとどけ!虹の音楽祭では麗さんとの対話を通して、誰かに向けて曲を作るということが「相手を音という形で掴み、音で相手を描き出そうとする試み」であると考えるようになる。

   相互理解に必要なコミュニケーションそのものを不要と考えていた人物が、対話を通して相手を音という形で掴むことが自らの音楽に還元しうるものである、と気付くのである。

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左: ドレミファ★メロディ ストーリー02、中央: ふわふわパジャマパーティー ストーリー17、右: とどけ!虹の音楽祭 ストーリー05より

 元音楽家としてだけでもアイドルとしてだけでもなく、音楽を愛する者の一人として、対等に目の前の作曲家氏に積極的にかかわろうとする姿こそが「現在の」都築圭なのだろう。

 

3-3. 信頼と友情

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Lost Eden~月の森編~ ストーリー06より

 初めてこのやりとりを目にしたとき、最後の言葉のつつましさといじらしさにしばらく固まってしまった。自信がないながらも真実自分の心の動きから都築圭が信頼できる相手に出会えたことが嬉しいし、これからもたくさんの大切な人に出会っていってほしいと心から願う。

 

4. ミュージカル本編

4-1. 概要

 07~09では漫画原作ミュージカルの本編が描かれる。

 本作は、事前に漫画原作を読んだ麗さん曰く「妖精たちが人間に住処を追われ、新たな楽園を探しに旅に出、その過程で友情や衝突が生まれる」物語らしい。実際にイベスト中でアイドルたちが演じる姿が描かれるのは、旅に出た後、「星の森」と呼ばれる伝説の妖精郷にたどり着いて以降の物語である。ベノリア(渡辺みのり)、ルリエ(ピエール)、カージョ(鷹城恭二)らは住処を追われた側の妖精で、オーベイン(都築圭)、グラーレ(神楽麗)はもとより伝説の妖精郷に住まう側の妖精である。

 ちなみにユグドラシルの存在が示されていることから、この妖精郷は北欧神話でいうアールヴヘイムに相当する地である可能性がある。妖精郷そのものに関するこれ以上の考察は控えるが、ユグドラシル北欧神話の世界を象徴するものであり、ユグドラシルが枯れることは世界の消滅を意味する。ただし、本作ではユグドラシルを除く北欧神話的な描写が非常に少ないため、本記事においては「ユグドラシルが枯れる」ことを必ずしも「世界が滅ぶこと」とは解釈せず、「星の森が滅びうる」ことであると考えるものとする。

 

4-2. あらすじ

 ベノリア一行が星の森にたどり着いたときにはユグドラシルは枯れかけ、森は滅びかけていた。オーベインら森の妖精にきけば、妖精たちの歌は大樹に届かず仲間の妖精たちも森を去ったという(歌が届けば木々は生気を取り戻し森は復活する)。

 オーベインら妖精が再度歌を試みると、突然その旋律に共鳴する歌声がきこえ一瞬だが森に変化が見られた。歌い手はヒューイという人間でベノリアらの友人であり、歌は一族に伝承されるものであるという。ベノリアらのかつての仲間である妖精ジューダが裏切り、人間の軍隊を率いてベノリアらを追跡、ヒューイはベノリアらの身を案じて危機を知らせに来たらしい。

 人間たちの軍隊が森を荒らしたことにより、大樹は怒り森の木々は人間たちや妖精たちを襲った。しかしオーベインら妖精とヒューイが協力し歌ったことにより、歌は大樹に響き森はかつての姿を取り戻し始めた。人間たちへの恐れから閉鎖的になっていた妖精たちは考えを改め、たがいに信頼と友情の尊さを分かち合った。

 

4-3. Lost Eden~星の森編~ 本編について

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 作中では星の森の妖精たちの歌声は大樹に届かず木々は心を閉ざしてしまう。ここで思い起こされるのは、ソロ曲「Sanctuary World」で描かれる「心動く揺れが苦手になったそんな錯覚で 眠ってる海月のふりをしていた」頃の都築圭である。

都築圭(土岐隼一) Sanctuary World 歌詞 - 歌ネット

 「自らの心の動きに目をふせ音楽を楽しみきれなくなっていたが、麗さんをはじめ多くの出会いの中で音を奏でる歓びを再発見した」都築圭と、「かつてあった異種族間の交流を絶ち一度は衰退するも、妖精と人間の絆の歌により再生を始める」には重なるものがある。

都築圭と森の描写の比較については後述する。

 

4-4. Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~ との比較

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 ここで、「Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~」と「Lost Eden~星の森編~」のふたつの物語を比較したい。

 Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~ (以下、GoS)は、2018/1/17~2018/1/24のイベント内で開催されたファンタジー世界を舞台にした演劇で、神聖な森を魔獣から守るため同じ森に住む異種族と手を取り合い困難に立ち向かう物語である。Aletessimoの二名がエルフ族を、THE 虎牙道の三名が獣人族を演じた。

 冒頭にも述べたように、GoSとLost Eden~星の森編~は設定の段階からすでに複数の共通点があり、両者を比較することによりより深い理解を得られると考える。

4-4-1. Eden と Sanctuary

 Edenはアダムとイヴがいた地の名を指し、所謂the garden of Eden(エデンの園)から、より天上の存在というイメージの強い「楽園」である。一方でParadiseは幸福、平和、繁栄や救済の地としての「楽園」であり、地獄の対の概念とされることもある。

 では、Sanctuaryはどうか。Sanctuaryは①聖域、避難所 ②鳥の保護区・禁猟区 などの意をもち、内部は平穏で閉ざされ外界の干渉を受けない空間を指すことが多いように思う。形容詞としては、sacredやholyなどに比して神聖さや宗教的なニュアンスは薄く「安全な場所」といった意味合いがある。

4-4-2. 「森」とは何か

 Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~における「森」は「Sanctuary」、すなわち閉ざされた聖域の意味合いが強い。物語においてもエルフ族や獣人族は神聖な森を外部から脅かす魔獣から守るべく結託する。作品は両種族の協力により森が守られたところで終了するが、都築が終演後にその後のエルフ族の王であるアラケインが再び森に閉じこもってしまう可能性を考えていることから、あくまでエルフや獣人たちにとって森は自分たちの領域であり維持するものである意識が強くあると考えられるだろう。実際に都築圭はアラケインと自らの感覚や考えを比較して、今の自分は大切な人たちから森の外に美しい世界があることを教わり、外界、すなわち他者との交わりのある世界の価値を感じるようになったと述べている。

 一方で、Lost Eden~星の森編~における「(星の)森」は「Eden」すなわち「天上の楽園」であり、人間たちに対する恐れから彼らとの交流を絶ち安寧を保たんとした場所である。しかし妖精たちが森を閉鎖的な地としたことにより、森の木々は心を閉ざし妖精たちの歌を拒むようになる。物語では人間たちに住処の森を追われたベノリアらや人間であるヒューイの訪れにより、妖精の歌と人間の歌が響き合うことで再び「Eden」の歌が大樹に届き、森は元の姿を取り戻し始める。すなわちLost Eden~星の森編~における森とは、単に妖精たちの住まう地というだけではなく他種属との交わりによって維持され繁栄しうるものであるといえるだろう。

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左: Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~ ストーリー10、右: Lost Eden~星の森編~ ストーリー09より
4-4-3. 都築圭の変化に照らして

 アイドルマスターSideMにおける過去とは、これまでその人が歩いてきた道であると同時に本人の中に伴い続けるものである。過去は本人から切り離せるものではないが、必ずしも周囲に知らせなければいけないものではなく、アイドルからプロデューサーに対して明かされるタイミングもそれぞれである。

 Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~において都築圭は、過去が現在に繋がる実感を口にしている。対してLost Eden~星の森編~では、過去の自分を想起しながら、他者と関わったうえで自らの音楽を大切にするように伝えている。「自らの中で現在に繋がる過去を自覚した姿」から「過去の自分を知り、他者と関わり悩みながら自分自身の表現を尊ぶ姿」への変化は、二つの作品に描かれる森そのものの違いに通じるものがあるのではないか。

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左: Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~ ストーリー05、右: Lost Eden~星の森編~ ストーリー04より

4-5. その他

・作中に登場する人物名について。一説には、ヒューイ(Hugy)はドイツ語のヒュー(Hugh)と同系で Hughは「輝く魂」を意味するらしい[「名前の意味」…H: アボンリーの風に吹かれて . 2022/2/20閲覧. ]。また、ジューダはユダ(イスカリオテのユダ)の名が「Judah」と表記されることからこれをもじったものと考えられるとのご意見をいただいた。

・「Lost Eden」の意味について。「Lost Eden」がベノリアらが同じ妖精であるジューダの裏切りによりかつての住処を追われたことを含意するのであれば、ジューダの裏切りは何らかの唆しに端を発するものであり、同族の犯した罪によりベノリアらが故郷を追われたことは『失楽園』のエピソードを想起させうるものであるといえる。また一連の出来事を指して本作を「Lost Eden」と称しているならば、「Lost Eden」とはベノリアらがかつての住処を追われた『失楽園』的エピソードを表しているばかりでなく、星の森において多種属との交わりにより森が栄えたことで星の森が天上の(手の届かない閉鎖的な)地でなくなったことをも含意しうるのではないか。さすがにこじつけすぎだろうか。

・『失楽園』について。『失楽園』の原題は『Paradise Lost』であり、旧約聖書『創世記』第3章の挿話である。蛇に唆されたアダムとイヴが、神の禁を破って「善悪の知識の木」の実である「禁断の果実」を食べ、最終的にエデンの園を追放される。

 

参考過去イベント(一覧)

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