和海と申します。
2023年7月2日に開催されました 第3回SideM学会 - YouTube にて、「都築圭の時間」という題目で発表をさせていただきました。
以下に、発表の際に使用したスラ再喝イドを再喝いたします。
可能であれば、今後発表時にお話しさせていただいた内容について記事に起こしたいと考えております。
和海と申します。
2023年7月2日に開催されました 第3回SideM学会 - YouTube にて、「都築圭の時間」という題目で発表をさせていただきました。
以下に、発表の際に使用したスラ再喝イドを再喝いたします。
可能であれば、今後発表時にお話しさせていただいた内容について記事に起こしたいと考えております。
和海と申します。
本記事は2022年2月17日~2022年2月22日に開催されました(されている)Lost Eden~星の森編~について同年2月20~22日時点で筆者が考えたこと等をまとめたものです。あくまで個人の考えに根差すものであること、またMobage版アイドルマスターSideM中のストーリーのネタバレを多分に含むものであることをご留意ください。また記事中で複数画像を並べている箇所があるためPC版での閲覧を推奨します。
(以下、常体での記載とします)
「ミュージカルの仕事」「仕事に向けて他ユニットアイドルの自宅で集まる」「Altessimoの演じる役がエルフ/妖精」「(詳細な理由は異なるものの)外界のものとの交流に対する恐れにより排他的になるエルフ/妖精」といったいくつかの点により、イベント予告の文章が公開された時点ですでにGuardians of Sanctuary~古き森の盟約~(2018/01/17~2018/01/24開催)との関連が予想されていた。私自身、実際にイベントが始まりイベントストーリー(以下イベスト)やカード等を見て、当該イベントのみに留まらず他の複数のストーリーで描かれた出来事らとのつながりを多く感じた。本記事では関連があると思われるイベントについても触れるため、興味をお持ちになった方には是非そちらもご参照いただければ幸いである。
SideMの多くの劇中劇において、各アイドルが演じる役の名はアイドル本人の名前や特徴を模したものが多い(神楽麗:グラーレ等)。本イベントにおいてもおよそその傾向がみられるが、都築圭だけは例外であった。都築が演じる妖精の役名はオーベインであり、これは恐らくウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』に登場する妖精オベロンの名をもじったものであると考えられる。神楽麗さん(以下麗さん)からストーリー02において夏の夜の夢についての言及があることからもほぼ間違いないだろう。
『夏の夜の夢』はアテネ近郊の森を訪れた人間やその森に住む妖精たちが登場する恋と愛の喜劇である。詳細なストーリーはここでは割愛するが、物語においてオベロンは妃のティターニアと仲違いをし「いたずら」をするも巻き込まれた人間たちの姿を見て解決を試み、一人の妖精の活躍やてんやわんやを経て最後にはティターニアの迷いも解いて仲良く人間たちを祝福する。今イベントとの関連については後述。
Paradise Lost and Regained Index
パート01,02ではミュージカルの楽曲を担当する作曲家について、また原作となる漫画について言及があり、パート03,04では両ユニットの稽古の様子が描かれる。
03のなかでも、熱心に稽古に取り組む渡辺みのりさん(以下みのりさん)と麗さんを見て自身も作曲家さんに質問にいく都築圭は、Bullets of Heresyや7th Anniversary Live等で繰り返し描かれてきたような、並び立つ人にふさわしい自分であるために努力する人間である。
ただしこれまでは麗さんに対し言葉にして「頑張りたい」と伝えていたのに対して、今回は「(麗さん“も”自分の音を高めようと頑張っているんだね)」というモノローグからそのまま行動に移っている。これは、都築自身が自分の頑張りを認められるようになり、麗さんが都築のことをいつも見てくれていることを知り、ともに過ごしてきた重ねてきた時間があるからこそ、あえて言葉にせずとも次にステップに進むことができているということなのではないかと思う。ふわふわパジャマパーティーの頃の「言葉じゃなくて、音楽で通じ合えれば、それでいいさ」といった独りよがりな様子からは程遠いものだろう。
04では、ミュージカル楽曲担当の作曲家氏が都築に相談をする場面がある。この作曲家氏はみのりさんいわく「アイドルソング界の若きエース」であり今イベントにおいてはレジェンド的存在の都築と対比される(都築の過去の作曲活動については[とどけ!虹の音楽祭], [最恐怪奇譚~戦慄のメロディ~]を参照)。
作曲家氏の相談に対する都築圭の「君も悪戯なエルフェに惑わされているようだ。かつての僕のように」という言葉から、都築自身が過去に楽曲提供をしていた際に同様の悩みを抱いており、さらに目の前の作曲家氏をと過去の自分を重ねていることが読み取れる。
なればこそ、自らの作る曲(もしくは奏でる音楽)が相手の魅力を引き出せていない・相手に見合うものでない のではないかという疑念もまた、過去の都築が抱いたものであったのではないか。この「相手」にはかつて都築が楽曲を提供していた通称歌姫とよばれる存在、または同じユニットの麗さん、もしくはその両方が考えられるだろう。
「相手」が歌姫らを指していた場合、都築が自身の音楽が至らないことにより彼女ら大切な人たちとの別れを招いたと(少なくとも過去に)考えていたとすれば、所謂初期の自己評価や自己肯定感の低さにもつながるのではないかと思う。
一方で、麗さんを指していた場合には(とどけ!虹の音楽祭以降に描かれてきた)麗さんに向けて作る楽曲の作曲過程に感じたものとつながるだろう。かつての都築がどこか麗さんの顔色をうかがいながら曲をつくろうとしてしまっていた、と考えれば、これまでに麗さんとの対話を通して試行錯誤を繰り返してきた道のりについて考えさせられる。この曲は最終的に、麗さんだけではなく都築自身を含めたAltessimoとして、さらにそのファンの方々も含めた皆で作る進化し続ける楽曲として展望を得るようになる。
またひとつの可能性として、続く「楽曲は君のものだから、僕は口を出すつもりはないよ。」「僕の顔色をうかがう必要はない。どうか君の好きなようにやってほしい。」という言葉が、都築圭自身がかけてほしいと思っていた言葉、もしくは都築圭が過去に実際にかけられたがそのときには(突き放されたような感じがするばかりで)真意を汲めないでいた言葉と考えることはできないだろうか。過去に都築自身が相手の顔色をうかがいながら作曲活動をしてしまっていたという体験に根ざす言葉であるという可能性もある。
この仮説が空想の域を出ないといえばそれまでだが、都築が「誰かが誰かに向けて音楽を奏でる」際の想いを大切にする人物であることは、麗さんのお姉さんが麗さんのために演奏する時間を尊ぶ描写としてすでに示されている。
作曲家氏への言葉はさらに続く。
「…でもだからこそ、僕は君が自分の手で描いた音を奏でたい。それがどんな曲でも」。ここで意図される「自分の手で描くこと」とはどんなことだろうか。元作曲家の都築が曲を奏でるアイドルとして目の前の作曲家氏に語る言葉であるのだから、作曲も演奏も「描く」ことに含まれるだろう。しかし、むしろ重要なのは「描く」という表現の方法ではなく「自分の手で」の部分であり、本当の自分の心のままに自らの意志で自らの望むことをなすことであるのではないか。
『夏の夜の夢』では、ティターニアや人間たちはオベロンや妖精の一人であるパックが用いた媚薬によって、目を覚まして最初に見た者に恋をする。言い換えれば本来の心で愛した者とは異なるものに盲目的になってしまう。結果人間たちの仲はこじれ、ティターニアもまた気の毒なことになってしまい、それを見たオベロンが彼らの惑いを解いて物語は終わる。愛もしくは心を音楽に置き換えて考えてみると、
都築が目の前の作曲家氏に、そして過去の自分に望むのは「その人自身の心のままに音楽を紡ぐこと」ではないか。
都築が「相手の音を掴む」という意識を持つに至る過程には、彼自身の相互理解や誰かに曲を作ることに対する意識の変化を伴ってきた。
初めに相手を「掴む」(すなわち相手のこと理解する)という言葉が出てきたのは2015年のドレミファ★メロディである。このときは都築のことが掴めない、という麗さんに対して都築はそもそもその必要があるのか、と返している。これは「あなたという人のことがわからない」という投げかけに対して「わからなくても良いし結局はあなたの感じ方次第ではないか」と返したとも解釈できる。確かにそういった考えもあるだろうが、理解を最初から放棄しているともいえる態度である。しかし、次のふわふわパジャマパーティーで彼は、自分の好まないものも親しみのあるもの(音楽)に置き換えれば苦手意識を軽減することができることを学ぶ。
そしてとどけ!虹の音楽祭では麗さんとの対話を通して、誰かに向けて曲を作るということが「相手を音という形で掴み、音で相手を描き出そうとする試み」であると考えるようになる。
相互理解に必要なコミュニケーションそのものを不要と考えていた人物が、対話を通して相手を音という形で掴むことが自らの音楽に還元しうるものである、と気付くのである。
元音楽家としてだけでもアイドルとしてだけでもなく、音楽を愛する者の一人として、対等に目の前の作曲家氏に積極的にかかわろうとする姿こそが「現在の」都築圭なのだろう。
初めてこのやりとりを目にしたとき、最後の言葉のつつましさといじらしさにしばらく固まってしまった。自信がないながらも真実自分の心の動きから都築圭が信頼できる相手に出会えたことが嬉しいし、これからもたくさんの大切な人に出会っていってほしいと心から願う。
07~09では漫画原作ミュージカルの本編が描かれる。
本作は、事前に漫画原作を読んだ麗さん曰く「妖精たちが人間に住処を追われ、新たな楽園を探しに旅に出、その過程で友情や衝突が生まれる」物語らしい。実際にイベスト中でアイドルたちが演じる姿が描かれるのは、旅に出た後、「星の森」と呼ばれる伝説の妖精郷にたどり着いて以降の物語である。ベノリア(渡辺みのり)、ルリエ(ピエール)、カージョ(鷹城恭二)らは住処を追われた側の妖精で、オーベイン(都築圭)、グラーレ(神楽麗)はもとより伝説の妖精郷に住まう側の妖精である。
ちなみにユグドラシルの存在が示されていることから、この妖精郷は北欧神話でいうアールヴヘイムに相当する地である可能性がある。妖精郷そのものに関するこれ以上の考察は控えるが、ユグドラシルは北欧神話の世界を象徴するものであり、ユグドラシルが枯れることは世界の消滅を意味する。ただし、本作ではユグドラシルを除く北欧神話的な描写が非常に少ないため、本記事においては「ユグドラシルが枯れる」ことを必ずしも「世界が滅ぶこと」とは解釈せず、「星の森が滅びうる」ことであると考えるものとする。
ベノリア一行が星の森にたどり着いたときにはユグドラシルは枯れかけ、森は滅びかけていた。オーベインら森の妖精にきけば、妖精たちの歌は大樹に届かず仲間の妖精たちも森を去ったという(歌が届けば木々は生気を取り戻し森は復活する)。
オーベインら妖精が再度歌を試みると、突然その旋律に共鳴する歌声がきこえ一瞬だが森に変化が見られた。歌い手はヒューイという人間でベノリアらの友人であり、歌は一族に伝承されるものであるという。ベノリアらのかつての仲間である妖精ジューダが裏切り、人間の軍隊を率いてベノリアらを追跡、ヒューイはベノリアらの身を案じて危機を知らせに来たらしい。
人間たちの軍隊が森を荒らしたことにより、大樹は怒り森の木々は人間たちや妖精たちを襲った。しかしオーベインら妖精とヒューイが協力し歌ったことにより、歌は大樹に響き森はかつての姿を取り戻し始めた。人間たちへの恐れから閉鎖的になっていた妖精たちは考えを改め、たがいに信頼と友情の尊さを分かち合った。
作中では星の森の妖精たちの歌声は大樹に届かず木々は心を閉ざしてしまう。ここで思い起こされるのは、ソロ曲「Sanctuary World」で描かれる「心動く揺れが苦手になったそんな錯覚で 眠ってる海月のふりをしていた」頃の都築圭である。
都築圭(土岐隼一) Sanctuary World 歌詞 - 歌ネット
「自らの心の動きに目をふせ音楽を楽しみきれなくなっていたが、麗さんをはじめ多くの出会いの中で音を奏でる歓びを再発見した」都築圭と、「かつてあった異種族間の交流を絶ち一度は衰退するも、妖精と人間の絆の歌により再生を始める」森には重なるものがある。
都築圭と森の描写の比較については後述する。
ここで、「Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~」と「Lost Eden~星の森編~」のふたつの物語を比較したい。
Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~ (以下、GoS)は、2018/1/17~2018/1/24のイベント内で開催されたファンタジー世界を舞台にした演劇で、神聖な森を魔獣から守るため同じ森に住む異種族と手を取り合い困難に立ち向かう物語である。Aletessimoの二名がエルフ族を、THE 虎牙道の三名が獣人族を演じた。
冒頭にも述べたように、GoSとLost Eden~星の森編~は設定の段階からすでに複数の共通点があり、両者を比較することによりより深い理解を得られると考える。
Edenはアダムとイヴがいた地の名を指し、所謂the garden of Eden(エデンの園)から、より天上の存在というイメージの強い「楽園」である。一方でParadiseは幸福、平和、繁栄や救済の地としての「楽園」であり、地獄の対の概念とされることもある。
では、Sanctuaryはどうか。Sanctuaryは①聖域、避難所 ②鳥の保護区・禁猟区 などの意をもち、内部は平穏で閉ざされ外界の干渉を受けない空間を指すことが多いように思う。形容詞としては、sacredやholyなどに比して神聖さや宗教的なニュアンスは薄く「安全な場所」といった意味合いがある。
Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~における「森」は「Sanctuary」、すなわち閉ざされた聖域の意味合いが強い。物語においてもエルフ族や獣人族は神聖な森を外部から脅かす魔獣から守るべく結託する。作品は両種族の協力により森が守られたところで終了するが、都築が終演後にその後のエルフ族の王であるアラケインが再び森に閉じこもってしまう可能性を考えていることから、あくまでエルフや獣人たちにとって森は自分たちの領域であり維持するものである意識が強くあると考えられるだろう。実際に都築圭はアラケインと自らの感覚や考えを比較して、今の自分は大切な人たちから森の外に美しい世界があることを教わり、外界、すなわち他者との交わりのある世界の価値を感じるようになったと述べている。
一方で、Lost Eden~星の森編~における「(星の)森」は「Eden」すなわち「天上の楽園」であり、人間たちに対する恐れから彼らとの交流を絶ち安寧を保たんとした場所である。しかし妖精たちが森を閉鎖的な地としたことにより、森の木々は心を閉ざし妖精たちの歌を拒むようになる。物語では人間たちに住処の森を追われたベノリアらや人間であるヒューイの訪れにより、妖精の歌と人間の歌が響き合うことで再び「Eden」の歌が大樹に届き、森は元の姿を取り戻し始める。すなわちLost Eden~星の森編~における森とは、単に妖精たちの住まう地というだけではなく他種属との交わりによって維持され繁栄しうるものであるといえるだろう。
アイドルマスターSideMにおける過去とは、これまでその人が歩いてきた道であると同時に本人の中に伴い続けるものである。過去は本人から切り離せるものではないが、必ずしも周囲に知らせなければいけないものではなく、アイドルからプロデューサーに対して明かされるタイミングもそれぞれである。
Guardians of Sanctuary~古き森の盟約~において都築圭は、過去が現在に繋がる実感を口にしている。対してLost Eden~星の森編~では、過去の自分を想起しながら、他者と関わったうえで自らの音楽を大切にするように伝えている。「自らの中で現在に繋がる過去を自覚した姿」から「過去の自分を知り、他者と関わり悩みながら自分自身の表現を尊ぶ姿」への変化は、二つの作品に描かれる森そのものの違いに通じるものがあるのではないか。
・作中に登場する人物名について。一説には、ヒューイ(Hugy)はドイツ語のヒュー(Hugh)と同系で Hughは「輝く魂」を意味するらしい[「名前の意味」…H: アボンリーの風に吹かれて . 2022/2/20閲覧. ]。また、ジューダはユダ(イスカリオテのユダ)の名が「Judah」と表記されることからこれをもじったものと考えられるとのご意見をいただいた。
・「Lost Eden」の意味について。「Lost Eden」がベノリアらが同じ妖精であるジューダの裏切りによりかつての住処を追われたことを含意するのであれば、ジューダの裏切りは何らかの唆しに端を発するものであり、同族の犯した罪によりベノリアらが故郷を追われたことは『失楽園』のエピソードを想起させうるものであるといえる。また一連の出来事を指して本作を「Lost Eden」と称しているならば、「Lost Eden」とはベノリアらがかつての住処を追われた『失楽園』的エピソードを表しているばかりでなく、星の森において多種属との交わりにより森が栄えたことで星の森が天上の(手の届かない閉鎖的な)地でなくなったことをも含意しうるのではないか。さすがにこじつけすぎだろうか。
・『失楽園』について。『失楽園』の原題は『Paradise Lost』であり、旧約聖書『創世記』第3章の挿話である。蛇に唆されたアダムとイヴが、神の禁を破って「善悪の知識の木」の実である「禁断の果実」を食べ、最終的にエデンの園を追放される。
和海と申します。
2021年11月6日,7日にTHE IDOL M@STER SideM 6th LIVE TOUR ~NEXT DESTIN@TION!~ Side KOBE~公演が、翌一週間にアーカイブが公開されました。(諸事情でアーカイブ公開日のラスト2日間だけになってしまいましたが)私も無事視聴することができました。
正直どれもっっっっっっても良かったし思いの丈はいくら叫んでも叫びたりないくらいです。ですが、本記事では私の担当しているAltessimoの楽曲についての感想をピックアップしてまとめたいと思います。
というのも、私は視聴の際、基本的にはライブの感想や呻きはその場で口に出しながら見ていたのですが、担当のときには泣いて目は画面を見たまま手元で考えた内容のキーワードをTwitterの下書きに打ち込んでいました。結果としてほぼ誤字脱字で構成された文章にも満たない文字列(以下、怪文とします)が生成されました。面白半分で一緒に視聴していた同僚Pさん方に公開したところ、たくさん笑っていただいただけでなく、一部分の解説について 文字に対して意味を込めすぎてわからんとのコメントをいただきました。
そのため、今回は記憶の整理もかねて自身の生成した怪文の解読と補足を行っていきます。限界都築Pの妄言だと思ってお読みいただければ幸いです。
初めにDAY1の感想をリアルタイムのツイートにすると以下のようになります。
たとえきずついても めがまっくぐ
— 和海 (@rohdea68) 2021年11月13日
0pus がかなしみの曲じゃなくなった
歌うよopus fradで初めて、一瞬だけ微笑む都築圭
水中
世界を津久野るとか
都築の低音
店舗 都築 会いに れいそん
あわと消えないMermaid しゃぼんだま われる
らすさび 産後 世界に色
……??
我ながらあまりにひどい。圧縮しすぎて日本語として成り立ってすらいない。(このレベルのツイートが続きます)
以下で解読と補足を進めますがツイート内の文言に対応しそうな箇所には下線を付しておりますのでよろしければ比較してみてください。
太陽と月のように 重なり合えなくても
追いかけ合う誰かに会いたくて
“たとえ傷ついても それを歌にしよう”
約束した君と描こう 「Op. Today」
Never end Opus(以下、Opusとします)は、別れのかなしみやアイデンティティを見失いそうな不安のなかでも握りしめ続けてきた音楽をつたってAltessimoの二人が互いに出会うまでの曲だと思います。そのためかこの曲は苦しかった過去を歌う曲として捉えられて終わってしまうことも多い印象があります。ですが今回の公演では「“たとえ傷ついても 」の部分でまっすぐに前を見据えた都築さんが映されたことで私にはOpusが約束を果たすための歌にきこえました。
歌詞を見るとこの「たとえ傷ついてもそれを歌にしよう」という1フレーズは ” ” で囲まれており、このことからこのフレーズは約束した「君」と交わした言葉、もしくは「君に」向けた歌い手の決意なのではないか、と思います。これまでの振付上の演出ではAltessimoの二人が出会うのは曲全体が終わる最後のアウトロ部分でしたが、本来Opusという曲のなかでは二人はこのとき出会っています。「本当はずっと」会いたかった「誰か」に出会うまでと出会ってからの境界がちょうどこの部分なので、ここでまっすぐ前を見る目が見られてぐっときました。
新しい楽譜-ゆめ-を歌うよ 「Op.Glad」
また、「歌うよ」の後の一拍で、この曲で初めて一瞬だけ微笑む都築さんが見られて本当に良かったです。
水中をときにゆったりと、ときに大きく加速しながら進むような背景がとても美しかったですね。どのユニットにも共通していえることではありますが、今回の会場は階段越しにも背景映像がかなりはっきりと広範囲で見えるステージだったこともあり、楽曲の世界の中にアイドルたちがいるような光景が印象的でした。
都築さんの低音がとても…… 響いていましたね……
強く…響く…テンポに…愛に…
同化して 溶けて 羽を付けて飛べ!
寄り添ってOp.
歌割に合わせて「テンポに」で都築さんが、「愛に」で麗さんが抜かれて嬉しくなりました。この部分に関しては、作詞や歌割をきめる際に二人の履歴書の座右の銘が意識されたのではないかな、と勝手に考えています。都築さんの座右の銘は「”poco a poco” 何事も、ゆっくりと」、麗さんの座右の銘は「信頼…だ。わたしには必要だから。」です。特に麗さんは、同じく履歴書の未来に向けたコメントでの「心が折れそうなときはだれにでもある。そんな時に寄り添えるような曲を奏でられるようになりたい」という言葉が、そのままmermaid fermataでかたちになったようにも思えます。
セカイが、優しさ惜しむ瞬間も 誰もが泡と消えないmermaid
「泡と消えない」の「な」のところでマイクに当たって割れたスモーク入りのシャボン玉さんに最優秀助演シャボン玉優賞を授与します。
ラスサビの「セカイよ 君との嵐聞いていて」から、それまで水泡だけだったり色味のわからなかった背景で珊瑚に色彩が付いた演出がとても素敵だと感じました。私はmermaid fermataを、Altessimoがかなしみを抱えた誰かに寄り添い掬い上げるような曲がと考えているのですが、その曲の演出が「泡しか見えないところから周囲の景色が見えはじめ、景色に色がついていく」であったことは、太陽ほどの強さはなくとも確実に光に向かっている情景を示しているとも考えられるのではないでしょうか。
まず、この曲をPRIDEFULL BLUEを身にまとい披露していただけたことに心から感謝します。神戸公演の直前に手元に届いたPRODUCER MEETING のBOX帯にも「ずっとこの時待ってたぜ!」というフレーズがあったりと、私たちユーザーだけでなく運営の方も悔しかったり苦しかった時間を経てこの公演を迎えたのだろうなという思いがありました。冒頭の提供読みなど随所で考えるタイミングがありましたが、私個人としては1日目にPRIDEFULL BLUEを着たアイドルたちの影が見えたときにまず感情が決壊しました。同じ気持ちになった方も多いのではないかと思います。正直なところ泣きすぎて1日目は楽曲の記録も記憶もありません。
また、都築さんが公演前の差し入れに対するコメントを「今日も最高の後を奏でるから楽しみにしててね」と締めていたのに対し、公演後のコメントが「歌と笑顔が紡ぐハーモニー、とても心地いいね」だったのが個人的に素敵だなと思いました。この「笑顔」は恐らく都築さんないしAltessimoのみのものではないと思われますので、公演前には発信することの意気込みを口にしていた彼がお客さんを前にしたライブ後には双方向のものに良さを見出しているのだなと解釈しました。
1曲目のNEXT ST@GEからAltessimo の二人がとてもとても楽しそうに生命力にあふれるようなパフォーマンスをしている姿が見られて本当に嬉しかったです。今回はAltessimo MC 永野さん座長だったこともあって気負いすぎていたりしないかなと少しでも心配してしまっていた自分が恥ずかしくなるくらい二人は力強く輝いていました。
視聴時のツイートは以下。
ともに最高のひと時にしましょう!
— 和海 (@rohdea68) 2021年11月14日
僕の音が聞こえるかい はやさ ほほえみ
生命力 ちからづそや
メロディ「こそが」
よろこびのうた とーんず
「みんなの元に至高の音楽を届けるよ」
らすさびあめえがほれいさん
ステージからあるてっしものみるけしき
最後 麗さんの手の力強さ
難しくとらえないで あるがままでいいんだ
生まれるメロディこそが 僕らの証だから
メロディ「こそが」の部分での都築さんの歌声がひときわ強く胸に響いたように思えたのが非常に印象的でした。都築にとってのテンポって音楽だけに限らないもので、彼自身が成長していくにつれて「身を任せるもの」というよりも「自らの歩調で刻むもの」というニュアンスが強まっていったのではないかなと思っています。そのようなテンポに対してメロディは、比較的初期から表現の手段であることが示されており、都築にとってその手で生み出すものであり続けているのではないかな、と(これに関してはSanctuary Worldの「表せるかな? 今日の目映さを」というフレーズが印象的ではないでしょうか)思っています。メロディこそが彼らの証なんだよな~~~~!!と改めて噛みしめました。
音楽の三要素として一般に「リズム」「メロディ」「ハーモニー」が挙げられます。神戸公演両日を振り返ってみると、DAY1の講演後コメントではハーモニーについての言及が、DAY2一曲目のThe 1st Movementではメロディに関わる歌詞が、三曲目のTone’Destineyではリズムに関わる歌詞(後述)が含まれており、神戸公演全体を通して音楽そのものを表現されていたのだな、なんて思ったりもしました。
この歌が君に届くのならば
きっと変わるだろう“よろこびのうた”に
この曲のCメロ前の間奏で「みんなに至高の音を届けるよ」というセリフがあり、Cメロ後に麗さんの笑顔が抜かれ、ラストのサビではステージから見える会場全体を見渡すような景色が映像配信されました。この曲の最後にAltessimoの音楽を受け取る人々の姿が見えることで、彼らにとっての始まりのうたが ”よろこびのうた” に変わるときを目にすることができたのだと思います。
最後に指揮者が曲を締めくくるような力強い後ろ姿でこの曲は終わります。このときの、特に麗さんの姿が印象に残っていて、これまで以上に頼もしい背中に感じられました。どんな音楽にも終わりがあります。Altessimoとして音楽を奏でる喜びに浸り続けず、きっちりと締めくくることで次の未来に進むことができるのだと思います。
視聴時のツイートは以下。
FOYL つよい
— 和海 (@rohdea68) 2021年11月14日
月の曲なの……?
音楽が降り注ぐ音楽
天に昇る音楽
日は昇らない 朝焼けを迎える前?
実写っぽい背景が多い
今回立台下段にも背景が出るからその世界の中にいる感じがする
背景の大きな満月が強く印象に残っています。正直、この曲については私の中で満月を背にする曲としての解釈ができておらず、曲が終わるまでずっと背景の演出のことで頭がいっぱいで考えがまとまりませんでした。一度しかない初披露の場であったのに、恥ずかしいです。(後になって一緒に観ていたPさんにこのことをお話ししたところ「ライブの背景はあとからライブ用につけられた演出だから気にしすぎなくて良いんだよ」と言われました。仰るとおりです……)
そう、感じられるだろう新しいMelodies
まるで柔く日が射すように
そう、天上と地上 本当は一つ
共鳴してる煌めくScenery
背景演出について、ラスサビ前くらいまでは二人の上方から降り注いでいた光の粒や音符が、ラスサビに入ったところから逆に上方に向かって昇っていくような動きをしていたのが示唆的だなと感じました(ただ、他Pさんでこの話をしている方をまだ見かけていないので実際にはないものを見ていた可能性があります)。Altessimoの初期からのテーマとして「相互理解」があります。Altessimoの音楽は、彼らが享受するだけのものでも彼らから生み出されるだけのものでもない、相互に共鳴し合うものなのでしょう。
また「scenery」とは主に自然の景色を現し、特に美しく印象的なものを指すことが多いそうです。
さあ悠久と今を織り交ぜたMusic
探そう 渡そう 響いてる世界
さあ、五線のみぎわに打ち寄せる雲を
並べ奏でるAttaca Scenery
mermaid fermataの感想箇所でもお書きしましたが、今回のステージではアイドルたちが立ち台の下段にも背景映像が映るため、彼らがその楽曲の世界のなかにいるような感覚がありました。そんな彼らの世界をつなぎ、広げ、共有する楽曲なのだなと今回のステージも観てぼんやり考えていました。
視聴時のツイートは以下。
「声が」は都築圭なんだよな
— 和海 (@rohdea68) 2021年11月14日
しーめもまえみみをすますつヴき
— 和海 (@rohdea68) 2021年11月14日
むじゃしーーーーーー
火球
推進力
トランペットとかのオスところ
Cメロ前の間奏で耳をすまし微笑む都築圭に発狂しました。
風の中で 無邪気に踊る そんな僕らに… 声が
歓びは繋がりあえるんだね
なんて幸せなんだろう!
「声が」のパートを歌うのは都築さんなんですよね。Altessimoの二人の最初の対面は、レコーディング中の麗さんの歌声を都築さんがきいて「僕の歌を聞いてほしい!!君と奏でたい!」と声をかけ、歌声を聞かせたときになります。パフォーマンスはもちろん素晴らしかったのですが、出会いの時もかけがえのない相手の声を最初に聞いたのは都築だったのだよな、と恒常雑誌「通じ合う二人」を思い出していました。(それ以前に麗さんが都築さんのの姿を見かけることはありますが都築はそれに気づかず二人がやりとりをするには至りません)。
たった二つの音が紡ぐ無限を秘めるSymphony
風の中で無邪気に踊る そんな僕らは気付く
歓びは繋がりあえるんだね なんて幸せなんだろう!
もっと知りたいと思うから世界広がっていく
触れ合うすべてのMusic
もたらしてくれる出会いに…
Thanks for Tone’s Destiny!
「無邪気に踊る」の麗さんの内側からあふれ出すようなきらきらした笑顔があまりに良くてずっと目に焼き付いています。
Tone’s Destinyの演出といえば炎の演出がかなり話題になりましたし、演出でも驚きが言及されていました。私は初視聴がライブ開催当日からしばらくたった後で視聴前に聞き及んでいたこともあり、あまり驚きはありませんでした。DAY2全体を通してAltesimoの湧き上がるような生命力に似た力を感じていたこと、またこの演習がTone’s Destineyという歓びと羽ばたきの楽曲だったこともあり、彼らの推進力の表れがあの火柱と火球だったのろうなと思います。空中に火球が並んでいたところについては、トランペットとかの指で押すところ(ピストンバルブという名前らしいです)みたいだな、なんて思ったりもしていました。
あの頃はまだ自信がなくて
がむしゃらにただ前だけ見てた
「がむしゃらにただ前だけ見てた」のところで少し長めに都築さん(土岐さん)が抜かれていて、偶然かもしれないと思いながらもとても胸が熱くなりました(タイミングとしては「ただ」の後でフレームチェンジしてもおかしくないと思うので……)。都築圭は大切な人たちのとの出会いや別れを経て今こうしてステージに立っていて、思い出も経験もすべて抱えてこれからも進んでいくんだと思います。(もし未読の方がいらっしゃれば「Gurdians of Sauctuary~古き森の盟約~」と「不可侵のWHITE-HACK HACKER LIVE」のイベントストーリーを是非お読みになってみてください。)
“前”にすら視線を向けられなかった時期もあるかもしれないけれど、それでも今の都築圭は前を向いて、過去への向き合い方さえも変えて自分の足で歩き続けていくんだよな、という思いでいっぱいになりました。(この部分に関しては「浅草絢爛歌謡祭」イベントストーリーと日常での一コマ「嫌いなものと、大切な人」を読んでください。お願いします)
ライブ後のコメントで「新しいステージで僕たちは更に成長できたかな。今日も素敵な音に溢れていたよ」と言われ、【高まる衝動】都築圭+ 信頼度MAX台詞を思い出して泣きました。
ここまで振り返って、なによりもこの神戸公演を無事催してくださったこと、Altessimoとしてこの二日間の講演でこれだけの楽曲とパフォーマンスをやりきってくださったことへの感謝が尽きません。
今回この公演に関わったすべてのスタッフさんやキャストさん、観客の皆さんへ謝辞をもってこの記事を締めさせていただきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
和海と申します。
2021年8月15日に開催されました 第2回SideM学会 in オンライン - YouTube にて、「都築圭の時間」という題目で発表をさせていただきました。
(ニコニコ動画掲載の動画では直接発表をご覧いただけます。【第2回SideM学会】#15 都築圭の時間【アーカイブ】 - ニコニコ動画
)
今回の発表では都築圭の変化をいくつかの項目に分けて追っていくかたちをとったため、比較的スライドの枚数が多くなってしまいました。15分の発表では収まりきらないほどに
そのため発表資料そのものの振り返りとして、本記事では発表の際に使用したスライドのみを掲載したいと思います。
以下、発表スライドとなります。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
学会にて実際にお話した内容を含めたまとめ記事は、書き次第追って公開させていただきます。
本記事は2020年12月20日にOnline SideM学会にて私が発表させていただいた内容をまとめなおしたものになります。モバイル版アイドルマスター SideM イベントストーリーやカードセリフ等のネタバレを多分に含む内容となりますことをご留意ください。
01. 導入 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/23/213642 ]
02. 雨 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/23/234015 ]
03. 海 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/24/230047 ]
本記事では、Altessimo の新曲と循環について取り上げます。
これまでの発表まとめでは、都築圭と雨、そして海について取り上げてきました。
本記事では、初めに来る2021年1月6日 にリリースを予定しているAltessimo の新曲について少し触れたいと思います。ちなみにOnlineSideM学会の2週間ほど経った頃にはすでにAltessimo の新譜が店頭に並んでいることになります。早くないか!?!?!!!?!?!!?!??????
THE IDOLM@STER SideM NEW STAGE EPISODE:07 Altessimo 試聴動画
[ https://youtu.be/1xsedUpxXzU ]
音楽用語で用いられる「attacca」とは、楽章と楽章の間を切れ間なく演奏することを意味します。
一方、「scenery」とは主に自然の景色を表し、特に美しく印象的なものを指すことが多いそうです。類似した意味の単語との比較から、特定のポイントから見た景色ではなく(×view)、一目で見渡せるようなものではなく(×landscape)、状況や光景といった瞬間的なものではない(×scene)動きや変化のある一つの場面を捉えたニュアンスを含む言葉ととれます。scenery やlandscape は視点の場所は関係なく存在している景色である、という解釈もあるそうです。
また、試聴で公開されている一番サビの歌詞が(この記事を書いているのがCD発売前ですので私のヒアリングができた範囲となりますが)
さあ 悠久と今を織り交ぜた music
探そう 渡そう きこえだす未来
さあ 五線のみぎわに打ち寄せる雲を
並べ 奏で Attacca Scenery
「みぎわ」は“水際” “波打ち際” 、すなわち水と陸地が接しているところを指す言葉です。さらに「五線のみぎわに打ち寄せる雲を」という言葉から、歌い手の視点は雲が流れ着きそれを受け取る陸地の側にあることが想定されます。つまりこの時点で、すでに都築圭は海をでて陸に踏み出し雨や嵐をもたらしうる「雲」すら景色の一部として享受しているととれるのではないでしょうか。
また、個人の感想ですが 一楽曲としてのAttacca Scenery は何かドラマのテーマ曲にもなりえそうで(CDのドラマパートをきいたらわかるかもしれませんね)、The 1st Movement ~未来のための二重奏~ から始まったAltessimo の楽曲世界の広がりを改めて感じるものであるように思います。
(ここまで真面目です。以下は本気ではありますが割と飛躍します)
…………………??
今回の発表を始めるにあたり、水の性質として「姿を変えゆくもの」ということを挙げさせていただきました。これまで都築圭について考察をしていくなかで、様々な出会いやお仕事、経験を重ねる都築圭の変化の流れと、自然における水の循環を重ねたのですね。
といっても、流石に突飛な考えにも思える言葉ですので、改めて都築圭の変化をスライドで振り返っていきます。
都築……
OnlineSideM学会発表の際、Youtube で
「雨とともに地に降り立ち、海へと流れ、空に飛び立ち、成長してまた異なる雨として降り立つ。次の都築さんに注目したいですね。」というコメントがありました。
私自身も、これからも彼らをの変化を見続けることが楽しみでなりません。
最後に、私の大好きな 都築圭リメンバーショット信頼度MAX台詞 について触れさせていただきたいと思います。
このカードで都築は、過去の自分を許容しそのうえでこれからも進んでいく意思を自らの言葉でPに伝えてくれます。SideM が積み重ねの物語である、というのは今回のSideM学会のなかでも繰り返し述べられていましたが、こんなにもSideM を体現した言葉が他にあるでしょうか(きっとそれぞれのアイドル、P、事務所にそれぞれの理由と歩みがあると思います)。 何よりも過去を振り返るコンセプトのこのカードで、これまでを見つめこれからの話をしてくれた都築圭を私は誇りに思います。
そんな都築圭をこれからも見続けたい、彼とともに歩んでいきたい、そう思います。
ここまで長々と書いてしまいましたが、少しでもこの記事を読んでくださった方に都築圭の魅力が伝われば嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。
学会の感想やNEW STAGE EPISODE については後日記事にするかもしれません。
本記事は2020年12月20日にOnline SideM学会にて私が発表させていただいた内容をまとめなおしたものになります。モバイル版アイドルマスター SideM イベントストーリーやカードセリフ等のネタバレを多分に含む内容となりますことをご留意ください。
01. 導入 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/23/213642 ]
02. 雨 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/23/234015 ]
本記事では、都築圭と海について取り上げます。
ソロ曲であるSanctuary World においては、アイドルになる前の都築を指して上記のよう描写がなされています。
Sanctuary World は個人的に本っっっっっっっっっっっっ当に思い入れがある楽曲ですので詳細な考察はまた別の機会に記事にさせていただくつもりです。
また初期(前記事で触れた虹の音楽祭よりも前)の 2015年8月24日~8月31日に開催された「パラダイスリゾート2015(以下、パラリゾとします)」では、
都築圭の ①音楽以外のものごとへの盲目さ(視野の狭さ) や ②自己肯定感の低さ があらわになりました。
撮影の合間、自らにきこえた音に惹かれた都築はひとり海に足を踏み入れその音を楽しみます。それだけならばともかく、彼はそのまま楽しげな様子で海に身を投じ(という表現が正しいのかはわかりませんが)水中で「命の音」に没頭してしまいます。幸い麗さんが手を引いてくれたのでそのまま沈むことはありませんでした。もちろん麗さんからは叱られてしまいますが、どういうつもりなのかと問われて衣装を濡らしたことを謝ったり、都築自身のことを心配しているのだと告げられても他者に心配されたこと自体を想定していなかったという反応を見せます。
しかし同じ“海” を舞台にしていても、2018年8月9日~8月15日に開催された「4th Anniversary Live ~心強い仲間~」での都築は全く異なる描かれ方をしています。
まず【双翼の旋律】というカード名について。
これまでAltessimo を形容する際にいくらかもちいられてきた表現に「比翼の鳥」ないし「比翼」という言葉があります。比翼の鳥とは、目と翼を一つずつしか持たず常に雌雄一体となって飛ぶ空想上の鳥を指します。[ デジタル大辞林. 松村明 監. 池上秋彦他 編. (C)Shogakukan Inc. ] 比翼の鳥は番の二匹が揃わなければ外界へ羽ばたくことはできません。
それに対して「双翼」はあくまで左右の翼がある、という意味合いの言葉になります。
すなわち、Altessimo の2人がともに翼を得て旋律を紡いでいる 姿がこのカード名のみからでも伝わってくるわけです。
またイベントストーリーでは(前々記事、前記事で触れた)都築が麗さんのために作る曲について、今度は麗さんから都築さんに対しての相談の様子が描かれます。
この時点ですでに曲は楽譜の形で手渡されており、麗さんは魂を吹き込むべく時折練習をするもどうしてもしっくりこない、というのです。
一見すると音楽について類稀なるギフトをもつAltessimo の2人でそんなことがあるのか? と思ってしまいますが、都築は以下のように返します。
その曲は確かに麗さんのために作ったものだが、自分は無意識に麗さん個人ではなくAltessimo 2人の音をイメージしてしまっていたと。
麗さんのために作る曲が麗さんだけでは完成しない、というのは多少身勝手なことのようにも思えますが、これまでAltessimo 2人で歩んできたからこそのことだと考えると、彼のパートナーへの愛を感じざるを得ません。
この都築の言葉を受けた麗さんは「わたしは、この歌を都築さんと歌いたいです!」と言い、都築は「この広い海に僕たちの歌声を響かせよう」と返します。
さらに、5th ANNIVERSARY DISC に収録された楽曲であるMermaid fermata は かなしみや激情をも受け止めて聞き手の心に寄り添う曲となっています。
歌詞の一部をスライド上にお示ししましたが、特に
「僕らの中を巡るさえずりは lamentoso …一人だったら」という部分について。
この「一人だったら」というフレーズは、「今は二人だから」というようなAltessimoの2人が強調される表現ではなく、「今は一人じゃない」という文言です。 すなわち、Altessimo の2人が互いに力を与えあっているだけでなく、この曲を奏でるAltessimo がお互い以外の周囲の人々からも力を得ていること、またこの曲を聴く独りの誰かに対して寄り添う曲としても意味を持つ表現であるのではないでしょうか。
余談ですが、発表資料作成後Twitter でMfの解釈について調べていた際に動揺の考えを抱かれている方のつぶやきを拝見しました。ぜひ一度お話してみたいです
また、発表後のあくにんさんとのお話でも触れさせていただきましたが、Mermaid fermata は これまでのAltessimo“を” 歌う楽曲から、Altessimo“が” 歌う楽曲への変化が非常に印象的な楽曲です。このことに関しては多くのアルテPや麗さんのお声を担当されている永野さんからも言及されておりますので、本記事での扱いはこの程度にとどめておきます。
撮影の合間に一人海に入り自分のことにも周りのことにもあまり目が向いていなかった都築が、4th ANNIVERSARY LIVE のときには2人で奏でる音楽に自信を持つようになり、5th ANNIVERSRY DISC では他者に届けるための歌を紡ぐようになるわけです。
次の記事では、Altessimo の新曲、都築圭と水についてお話させていただく予定です。
本記事は2020年12月20日にOnline SideM学会にて私が発表させていただいた内容をまとめなおしたものになります。モバイル版アイドルマスター SideM イベントストーリーやカードセリフ等のネタバレを多分に含む内容となりますことをご留意ください。
01. 導入 [ https://rohdea68.hatenablog.com/entry/2020/12/23/213642 ]
初めに、都築圭と雨について取り上げます。
都築圭は雨の日にPと出会い、スカウトを受けます。
このときの都築は何かを口ずさみながら傘もささずに雨の中をひとり歩いており、Pはそんな彼に名刺とともに傘を手渡してその場を去ります。残された都築は茫然とその場に立ち尽くしているようにも見え、自身がアイドルになるということに慌てることも、胸をときめかせることも、怪訝な顔をみせることもありません。単に実感がないのかもしれませんが、自分自身のことなのですからもう少し感情の機微をみせる方が自然なように私には思えます。
その後、麗さんとAltessimo を結成しアイドル活動を開始した都築さんにひとつの転機となるイベントが訪れます。2016年6月7日~6月15日に開催された「とどけ!虹の音楽祭(以下、虹の音楽祭とします)」です。
虹の音楽祭は初めて都築が自身の過去について自らの言葉で触れたイベントであると私は認識しています。なお、次のイベントであるJupiter さんとご一緒した「最恐怪奇譚~戦慄のメロディ~」ではより具体的な言及があります。
このイベントでは都築が過去に楽曲を提供していたアイドルである「伝説の歌姫」についても触れられていますが、本発表では“都築圭が神楽麗のために作る曲 ” に注目してお話をしたいと思います。
ひとつ前のイベントである「出陣!315戦国村」において、都築の何気なくつくった曲を麗さんが気に入り、それを受けた都築は麗さんのために曲を作りたいと伝え、麗さんもそれを快諾してくれます。
しかし、そんな曲作りが思うように進まないところから今回のイベントストーリ―は始まります。麗さんが歌姫の話題を振っても「確かに彼女は素晴らしかった」「でも今は、麗さんのために曲を作りたいんだ」と答える都築。
この時点ですでに、(スカウト時)自らのことにも心動かなかった都築が麗さんという他者に向けて明確な意思を持つようになっているわけです。
いつも自分の手をひいてくれる麗さんのために、と焦りを口にする都築に、麗さんは「当たり前のことをしているだけですよ」と返します。都築は「そんな君だから曲をつくりたいと思ったんだ」と原点に立ち返ります。
そして麗さんのために曲をつくるヒントを自らつかんでいく様子が描写されます。
この一連のやりとりにおいて、都築は ①自らのなかで発生した問題を言語化し ②それを他者に伝えることを介して問題を解消し ③自らの音楽に還元する というプロセスを踏んでいます。
これはスカウト時の周囲に目もくれずひとり音楽を口ずさむ姿と対照されうるものではないでしょうか。
また、このイベントでのSR+ が上図【雨音の詩】+ です。
虹を背景に、晴れた空に歌を響かせる都築圭。美しいですね。
これまでのイベントストーリーおよびアルバム台詞から
これまで音楽にばかり関心を示していた都築が“音” 以外の美しさを見出す姿や、未来へ向けた視点を獲得した様子が見て取れます。
Youtube Live配信時にお見かけしたコメントに
「どうしようもなく音で世界を捉えていた都築さんが、人との関わり、世界の美しさを全身で捉えていく… これは音楽神の御子への救済なんですよ」というものがありました。美しい表現ですね……
さらにSide Memories では
「もしも君が僕を見つけてくれなかったとしたら… 」
「僕は今でも1人で、雨の中をさまよい続けていたと思う。」と、かなり過去の自分について自覚的な発言をしています。
補足となりますが、今年の麗さんの誕生日には雨の日をネガティブな印象もなく楽しんでいる様子が見てとれます。
また、2018年3月20日~3月26日に開催された「深緑~温かな調和~」では、いつか都築のつくる音楽に魂を吹き込んでみせると意気込む麗さんに
その時が楽しみだが焦らなくて良い、自分たちの歩幅でゆっくり頑張ろう と伝える都築の姿があります。この言葉からは虹の音楽祭で見せた焦りを乗り越えた様子が伝わってきます。
加えて、同じ文言でも履歴書に記載された“poco a poco” が急ぐことに前向きでない印象を与えるのに対し、ここで用いられた“poco a poco” はあくまで自分たちのペースでも前に進んでいこうという前向きさを感じられるものであるように思います。
次の記事では、都築圭と海についてお話させていただく予定です。